FA移籍者と残留者のコメント

2023/12/20

数々の名選手を排出しながら、FA権でその多くが移籍をしてきた。
しかし、FA権を取得しながらも"ライオンズ愛"を貫き残留を決めた選手たちもいる。
残留を決めた選手たちへの「感謝」をファンは忘れることはない。

選手名言その他
2016年★栗山 巧「FA宣言します。プレーしたい球団があるんです。
ライオンズに決まってるでしょ。他にどこがあるんですか。」
2018年★中村 剛也「FA権を所持しているのも面倒くさい。」
2019年十亀 剣「チームに貢献しなきゃいけない。」
2020年増田 達至「やっぱりライオンズに恩返しをしたい。」
熊代 聖人「ライオンズのために1日1日過ごしたい。」
2021年★岡田 雅利「ライオンズが大好きという気持ちだけ。」
2022年★源田 壮亮「西武の全部が好き。」"事実上"FA残留
★外崎 修汰「今の外崎修汰がいるのはライオンズのおかげ。」
2023年平井 克典「共に戦うチームメイトと優勝したい。」

栗山 巧

現在のライオンズの「FA残留」の風を吹かしたのは間違いなくこの漢、栗山選手であろう。
2001年にドラフトでライオンズに入団し、チームの中心選手として長らく牽引してきた。
そんな栗山選手も16年に海外FA権を取得。栗山選手が現役の間に、海外FAで松井選手(現監督)や中島選手(現中日)が行使して渡米。ファンの間でも「再び主力の流出になるのでは」と懸念する声も多かった。

そんな中、1人の西武担当記者に栗山選手からの電話がかかる。
「FA宣言します。プレーしたい球団があるんです。」
記者が恐る恐る球団を聞くと、
「西武ライオンズに決まってるでしょ。他にどこがあるんですか。」
栗山選手の個性と誠実さが表れているこのコメント。
そして21年に球団生え抜き初の2000本安打を達成。40歳を迎えても衰えることを知らず活躍を続けている。
そしてこの言葉は今でもファンの間でココロの中に響いている。
気持ちが沈んでいる時、悲しい時。このコメントを見れば救われたような気持ちになる。ファンに笑顔を届けるスター。まさにその姿そのものだ。

この21世紀初のライオンズFA残留。全てのストーリーはここから始まったのだ。
※コメント原文は西日本スポーツOTTOより

中村 剛也

ライオンズの骨と牙の1人として同期・栗山選手と共に長らく牽引してきた中村剛選手もライオンズ史に名を刻んだ1人だ。
18年に取得した海外FA権。類まれな長打力は西武ファンのみならず、プロ野球界を驚愕させてきた。
しかし、前年の栗山選手に続き行使の上での残留を決めた。その中村剛選手の契約更改後のコメントはまさにパワーワード。
「年も年ですし、言い方は悪いですけど、FA権を所持しているのもめんどくさい。」
所持しているのも面倒くさい。中村剛選手の独特なワードチョイスが光った。真っ直ぐにはモノを言わない。遠回しに。
アーチスト、中村剛也。40歳を過ぎてもこの男も衰えることを知らない。
「不惑ってなんですか。」通算500本塁打に向かって歩み続ける。

岡田 雅利

"ライオンズ愛"満載の会見が印象的だったのは岡田雅利選手。
2021年、FA権を行使しての残留を決めた。
会見の中で繰り返し口にした言葉が「ライオンズが大好き」。
多くの選手が去ってきたチームにとってこれほど笑顔になる残留会見はなかっただろう。
しかし、不運なことに翌年から膝の怪我に悩まされ続け、試合出場すら厳しい状態となった。
ようやく来年から。炭谷銀仁朗選手に負けないように。レギュラーを奪い返す。
最後に岡田選手の登場曲である、大事MANブラザーズバンド【それが大事】から。
「負けないこと。投げ出さないこと。逃げ出さないこと。信じ抜くこと。
ダメになりそうな時、それが1番大事。」
怪我に負けず、挫けず。前へ立ち上がれ。

源田 壮亮

源田選手は、FA権取得前年での契約のため、実際はFA権行使での残留ではない。
しかし、この残留で何人のファンが救われたか。そして、その後のWBCで何人のファンが増えたか。影響は計り知れない。
異例であるゆえ、記者もファンもまず最初に驚き。そして現実だと知り喜びを爆発させる。
まだFA権取得予定の前年。FA権取得前年に長期契約を打診するのは球団内では当たり前になってはいた。
しかし、それでサインする選手は居なかった。そして移籍をする選手を多く見てきた。
「生涯ライオンズ」。チームの、そして日本の正遊撃手から発せられたその言葉。
5年契約で骨を埋める。
「ライオンズでドラフトで取ってもらって、今の僕がある。ライオンズで最後までやりたいです。」
胸に光るCのマーク、その姿は球団も動かした。韓国戦での右手小指骨折。準々決勝後もチームに帯同するか否か。
そんな源田選手を後押ししたのが球団だった。
「源ちゃんの意思を尊重する」。それも球団との信頼があるからこその判断であろう。
ストーブリーグ開幕後も約2ヶ月の離脱を余儀なくされ、復帰後も患部が完治することはなかった。
それでも7年連続の遊撃手ゴールデングラブ賞を受賞した。
もちろん来年もキャプテンとしてチームを引っ張る。優勝、日本一。道のりはこれからも続く。